1、息子 中田厚仁氏
◆ー中学時代の作文「ポーランドの福祉」より
「ポーランドのひとたちは、お金をかけなければもちろん十分な福祉は望めないことは分かっています。しかし、僕が見てきたポーランドの人たちはこう言っていました。『人はパンのみにて生くるにあらず』・・・僕たちの国の福祉もパンだけであってはならない」中田少年はこのときすでに人の痛みを自分のものと感じ、社会みんなでその人たちを力づけていくことの喜びを知っていた。
父・武仁氏も「誰かがしなければいけないことがあったら、その誰かに自分はなるのだという厚仁の気持ちは大変強かった」と述べている。
◆ー厚仁氏の信条
「世界人として生きる」 「どんな国の人とも、僕は対等の意識にもとづいて行動したい」 「世界を平和にすること」 「だけども、僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならないことがある時、僕は、その誰かになりたい」
◆ー厚仁氏のモットー
「最悪の事態を想定し、最善をつくす」 自分をあえて過酷な環境に追い込み、自らが持つ可能性に挑戦する。
2、武仁氏のボランティアへの姿勢
◆ーピラミッドの話(使命感)
「厚仁氏の一時帰国に際して父・武仁氏が感じたこと
同じ仕事をしている人が三人いたとしましょう。「あなたは何をしているんですか」という問いに、一人は、「私は石を運んでいるんです。」と答える。もう一人は、「私はピラミッドを作っているんです。」もう一人は、「私はエジプト文明を未来に届ける仕事をしているんです。」こう答える三人の人がいるとして、「石を運んでいる」と答えた人は「やれ」と命じられてやっているだけで」、ダラダラといつ終わるのかも分からずに石を運んでいて辛いだけだ。「ピラミッドを作っている」と答えた人は、これは自分の仕事ではない、だから早く終わればいいと思っている。だけど三番目の「エジプト文明を未来に届ける仕事をしている」と答えて人は高い使命感に支えられ、それが充足されている喜びに溢れて少しも辛くない。厚仁の目はまさしくそうでした。私はここにボランティアの素晴らしさを見るんです。
自らの役割を徹底させようとする厚仁氏の姿勢は、今日の日本に最も欠けている姿勢ではないだろうか。」
「畠山ゼミナール6・7期生 激動する国際社会 公務に生きる日本人たちより抜粋」
☆常に問題意識をもち、当事者意識をもつこと。そして今の自分には何ができるのか、何をしなくてはいけないのかという意識が欠けている
◆ーカンボジア訪問で
「世界市民」という言葉は、われわれが世界という社会の一員だという意識を明確に表わせる言葉だ。
国際社会の中で今後日本が世界のために何かの役割を果たそうとするならば、その問題の当事者として、その国民もが取り組む必要があるのではないか。
お二人の意見や行動を通して感じるのは、現代の私たちを含めた若者にはない自主性である。これをふまえて、自信の生き方に照らし合わせ自己改革につなげていき問題の当事者としての意識を高めていきたい。
2班一同
中田厚仁氏についてはプレゼミの中での勉強にも取り上げられ彼を通して考える機会は多かったです。そして、自らのものの考え方、見方を広げてくれるものでした。私自身一番感銘をうけた言葉はやっぱり「だけども、僕はやる。この世の中に誰かがやらなければならないことがある時、僕は、その誰かになりたい。」である。この言葉はどの言葉よりもストレートに自分の中に入ってきたのです。とても重い言葉であるし、そう簡単に言える言葉ではない。
常に大きな視野で目先の世界ではなくその一歩先が彼には見えているように感じました。彼の信条、モットーは大変大きなものであるが、彼が我々に提示してくれていることはもっと身近なことであり、もっと人としての根底に必要なことについてだったのではないかと思う。常に自分は何ができるのか考える。すべての人と対等に。相手の身になって考える(当事者意識をもつ)。自主性をもつ。こういった当たり前と思われることであり実はとても大切なことが今の日本人には欠けてしまっている。取り戻すにはどうしたらいいのかを一人一人が考えることから始めていく必要がある。
岡戸 まどか
<参考文献>
・中田厚仁、「息子への手紙」 朝日新聞社 1995年
・「激動する国際社会 公務に生きる日本人たち」